一方が傷つけば、もう一方に響く。
それがひとつということ。
だから、
釘を打とうとして、
金づちをにぎった手が、
あやまって左手の指をたたいても、
その手は、左手に、
ぼやぼやするなって怒らないし、
左手は、右手のことを、
なにするのよって責めない。
ううん、それどころか、
右手はすぐに金づちをほうりだして、
痛んだ指を、そっといたわる。
そこには、愛だけがある。
もともと
ひとつだから。
人と人も、
人と地球も、
右手と左手のように、
なれないかなぁ。
文 作家心理カウンセラー宇佐美百合子